メロドラマの真ん中で

彼氏のことが大好きで、いろんなことが寂しくて怖くて、わたしはもう辛い。わたしはもう恋でメソメソするような脆弱な心はとっくに捨て去ったと思っていたのだが、残念!わたしはわたしでした。やっぱりわたしってダメなのかな、という絶望が今胸にいっぱい詰まっている。

わたしはわたしの寂しさが忌まわしくてたまらない。なぜか。「毅然としてたいじゃん」とBoAが歌ってたが、その通りだ。毅然としていたい。もっといえば超然としていたいとすら思う。だから、寂しいみたいな幼稚な感情は捨て去りたかった、どうしても。でもだめだね。足掻きにもならんね。圧倒的に寂しい。もう理想と事実を混同するのはやめて、事実を直視するならば、わたしは寂しがり屋の甘えん坊なのだろう。寂しがり屋の甘えん坊、なかなか胃もたれするフレーズだけど、あぁーわたし寂しいな、甘えたいな。たしかにな。自分のこういうところを抑圧し続けるから、恋人ができて、ひととき寂しさが埋められると途端に歯止めがきかなくなるのだ。でもまあもう仕方がない。彼氏とどうなるかはわからないけど、自分とは最後まで付き合っていかなきゃならない。それなのに、いつまでも理想の自分ばかり押し付けてちゃしんどいだろう。

BoAは「毅然としてたいじゃん」の前に「離れてちゃ意味ないじゃん」と歌っている。離れてちゃ意味ないんだよ、やっぱり。早く会いたいよ、寂しいよ。

 

どうなったって生きていかなきゃいけない。できるだけ幸福に。

今年の夏は暴力的に暑くて、たまらなく攻撃的な気持ちになる。これは”殺意”というやつかもしれないとすら思う。人を殺したい。またはアイスが食べたい。「アイスを食べたい」という気持ちは、アイスを食べた経験をなぞって浮かぶ欲望だけど、わたしは人を殺した経験がないから、誰かを殺したいという欲望は、実際はただただめちゃめちゃむしゃくしゃしているぐらいのものだろう。(その程度の動機で人を実際に殺してしまう人もいるが、それはまた別のはなし)

とにかくもう暑すぎる。「そういえば…」と思い立って、『異邦人』を読んだ。そこにある夏の様子が、この夏とそっくりな気がして、ますます最悪だった。マリイとの交歓のきらめきが、結末を終えた今、むごいほどに美しい。人間なんてクソですね。いや、わたしの感性がクソなだけかもしれない。

もう正直つらい。何がつらいかというと、彼氏からLINEの返事が来ない。もともとLINEのやりとりを頻繁にしていたわけではない。約束の前日に集合時間を決めるようなやりとりしかしない。わたしも連絡無精であるから好都合だなと思っていたけれど、この体たらくですよ。人間クソ祭りが(?)。もういろいろなことを認めざる得ない。わたしはかなりもう焦っていて、その焦りに疲弊している。28歳、あと数か月で29歳。自立はしているものの、安月給の類だと思うし華やかなキャリアプランもない。(代わりに将来の不安はある。)そこに付きまとう、おんぶお化けのような劣等感。わたしには、”結婚をしていない”ことへの言い訳がない。誰に何を言い訳するのか。誰に何を言い訳するのか?まぎれもなく世間である。ただし、そこでさらに問いたい、世間とは何なのか。問いたいって、あんた、自分で言い出して問いたいってあんた…。もう無理、いっぱいいっぱいだよ。世間とは。SNSに並ぶ”お友達”、同級生の近況、親戚からの質問(あるいは詰問)、両親の無言、そういういろいろなものが醸すムード、世間というのはきっとそういうものだ。わたしを取り巻くたくさんの人生。その平均値から遅れていく恐怖。「(結婚しないのかと)言われているうちが華だよ」と叔父が笑っていた。こんなにゲボ吐きそうなのに?勤労して納税して法令順守で暮らしているのに、常に劣等感・罪悪感に苛まれてんのに?それでも今って、"華”なのか。そんな風に言ったらきっと「そういうところが可愛げがないんだ」と思われるのがおちだろう。わかんないけど。別に何も言わなかったから、実際のところは。でも、内面化された「世間」はそう言っている。きっと本当の癌はコレだろう。焼き切るメスが欲しい。