今日は蒸し野菜とサバ缶の味噌汁。私が夕食を作る場合、10回に9回は蒸し野菜を作る。夫は私が何を作っても「いいねえ」と言って食べる。本当に、優しくて善良な魂だ。優しい人のそばで暮らすと、自分にとても価値があるような気がしてくる。それはたぶん思い上がりだな。でも、そういう思い上がりを味わうことができて私は本当に嬉しいよ。ありがとう。

毎日寒いし、夢見が悪い。

良いことも悪いことも、にわかに降って湧くような感覚があり、こういうコントロール感のなさが私の不能の由縁なんだろうな。

分け目が薄くなってきた気がする。前髪を作るべきなんだろうけども、顔に髪がかからない快適さに勝てない。

お腹すいたなあ。肩凝りつらいなあ。

昨日かみ山行った。タン麺、しょっぱかったが、おいしかった。アツアツ!

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午後から仕事を休んでボロ市に行った。すごい人出で、3秒で疲れた。草鞋を編んでいる老人を見て、草鞋を編むのは楽しそうだなと思った。草鞋自体はいらないが。代官屋敷を覗いて、昔の住宅は美しいなと思った。昔のものはだいたい美しく、厳しい。

 

世田谷線に乗って下高井戸まで出て、いつもの喫茶店に行く。店中はおばさんだらけだった。フラダンスの発表会でもあったのか。はたまた平日の午後はいつもこうなのか。私には知る由もない。隣の席のおばさんたちは、離婚時の財産分与とミナペルホネンの生地の話をしている。

今日は寒い。氷と炎の歌で、温暖な王都でウィンターフェルを思い出して“清潔な寒さ”みたいな表現をしていたことを思い出す。そう、寒さは清潔な感じがする。

ハイネック にバブアーと膝上のデニムのミニスカートでタイツでフラットシューズ、狂おしくかわいいな。真っ直ぐ伸びる長い脚という特別な才を持つ人のためのカジュアルだ。

 

仕事をしながら思うこと、自分が迷惑をこうむっているときは別に最悪ではない。こういうことを繰り返す先で、他者をなんとなく好きになれたらいいのにな。

地下謎という東京メトロがやっている謎解きイベントに参加をして、めちゃくちゃ疲れている。人混みが苦手だ。そして、カーンと冴えわたるように晴れるこの東京の冬が年々苦手になってきた。だからといって、あの裏日本の冬にいまさら適応できるとも思っていない。無性に逃れたいだけだ。雪に閉ざされて、外発的に休んでいたい。あるいは、そういう時間を過ごした子供時代に戻りたい。責任から逃げられたなら。優しさに包まれたなら。

まあそうはいってもどうにもならないので、末広町でひつまぶしを食べた。岐阜のお店らしいが、かなり美味しかった。疲れた体に沁みるね。

疲れたけど、夫と話しながら歩く時間は人生の滋養だ。疲れた私は後半の謎解きを放棄したが、夫は最後まで解いている。これが頭の“差”だな。

 

京極夏彦の本を買った。計16冊。面白いし、旅行したくなるのがいい。

そして

このブログの存在をすっかり忘れていた。3年経った今、件の彼と結婚し、一緒に暮らしている。現在を評価するならば、非常に充足している。これまでの人生で感じたことがないくらい、穏やかで安心した気持ちで日々を過ごせている。そして、彼と暮らし始めてから1年間、ずっとこんな風に思っている。彼のすばらしいところが私を照らしてくれている。

しかしながら、塞翁が馬というやつで、人生はこれからも変化しながら続いていく。なるべく長く、できるならば永遠に、彼と一緒にいられるように正しく生きていきたいと思う。

夢より素敵な

こんなブログを作っていたことを思い出して読み返すと、今夏の苦闘が記録されていた。憂鬱の中で窒息しそうな毎日を思い出し、たった数ヶ月前なのにもうずいぶん遠くに感じることに気づく。とても悲しいことに、くだんの彼とはその後数ヶ月で別れてしまった。別れの日の、薄暗い部屋を思い出すと今でも息が止まりそうになる。

やっぱりね、付き合ってて辛くなるような恋はダメ、どちらかが我慢するような関係は続きっこない、なんて訳知り顔で後出しジャンケンはしないぞ。何を犠牲にしてもそばにいたかった、それぐらい大好きだったという気持ちを失敗だなんて思わない。それが原因だったなんて言ってたまるか。あの頃のわたしの直向きさを思うと、これでよかったんだとしか思えない。ああ、わたしはわたしとグータッチがしたい。おつかれさま。よく頑張ったね。

彼のことは今も尚、何の迷いもなく大好き。これは未練ではない。そんな残り物的感情なんかじゃなく、至って普通にシンプルに、彼のことが大好きなのだ。どこにいってもどんな関係であっても、愛する自由は奪われないのね。この自由と共に、わたしはただ自分の人生を生きていこうと思ってる。